「リブート」という言葉が、刺さった理由
日曜ドラマ「リブート」の最終回を見ながら、胸のどこかが締め付けられた。 「リブート」の登場人物たちは、整形で別人になることを選んだ。顔を変えて、過去を捨てて、他…
日曜ドラマ「リブート」の最終回を見ながら、胸のどこかが締め付けられた。
「リブート」の登場人物たちは、整形で別人になることを選んだ。顔を変えて、過去を捨てて、他人として生き直す物語。
でも私が引っかかったのは、そこじゃなかった。
別人になる必要なんてなかった。ずっと被っていた仮面に気づくだけでよかった。
私も、ずっと何かを被っていたんじゃないか。
誰かに見られていると気づいた瞬間、何かが切り替わる。声が大きくなる。声のトーンが変わる。気づいたときにはもう、「外向きの自分」が起動している。
意識してやっているわけじゃない。相手にとって都合のいい自分を、瞬時に作り上げてしまう。
そのくせ頭の中ではずっと、もう一人の自分が声をあげている。
今、人の目を気にしているな。目の前のことに集中しなきゃいけないのに。
止め方が、わからなかった。
INFJの「仮面の構造」、防護服を着たまま生活していた
看護師をやっていると、感染対策で防護服を着ることがある。
ガウン、手袋、マスク、フェイスシールド。
全部つけると、自分の体が「外界と遮断された」感じがする。動きにくい。息が少し苦しい。でもその装備がないと、患者を守れないし、自分も守れない。だから着る。
この気質を持つ人間が「外向きの仮面」を被る感覚は、あれにそっくりだと思っている。
(※ この気質について詳しくはこちら 👇)
職場では「頼りになる先輩」の仮面を被っていた。
後輩の話をよく聞いて、空気を読んで、場を収める。「あの人は安定してる」と見られていたと思う。
でも防護服と決定的に違うのは、仮面を着けていることを、自分で気づいていなかった、ということだ。
内側では全部見えていた。誰がいつ限界を迎えるか。この組織があと何ヶ月もつか。自分がどこに立てばギリギリ消耗しないで済むか。
表では「大丈夫ですよ」と言いながら、内側では常に計算していた。
これが二面性の正体だ。「優しさ」じゃなくて「精密なシミュレーション」。でもその二つは、同時に本物だった。
防護服は脱ごうと思えば脱げる。でも仮面は、「被っている」と気づくまで、脱ぎ方がわからない。
26年間、自分のことが「他人事」だった
かつて、この違和感を誰かに話そうとすら思わなかった。
「悩み」として認識すらできなかった。自分のことなのに、まるで他人事のようだった。
治療を優先する医療現場と、患者さんの本当の幸せの間でいつも板挟みになっていた。
「看護師としての役割」 を優先せざるを得ない自分と、 「本当の自分が思うこと」 の間で。その葛藤は、誰にも言わなかった。悩みだと気づいていなかったから。
26年間、そうだった。
(※ 葛藤を、初めて言葉にした記事はこちら 👇)
消耗しない働き方と、仮面の外し方について。看護師26年の視点からブログでも書いています。 ▶ ナースXのカンファレンス室はこちら
40歳を過ぎて、はじめて自分を見た
転換点は、40歳を過ぎた頃だった。
膨大な業務、医師との板挟み、重い責任。「日々を回すだけで精一杯な、このままでいいのか」と、はじめて自問した。
本を読んだ。AIと話した。自分を多面的に分析し始めた。
すると少しずつ、自分への理解と確信が深まっていった。
「私はこういう人間だ」 という輪郭が、ぼんやりとではなく、はっきりと見えてきた。
仮面を被っていたことを、そこでやっと知った。
リブートは「新しい自分になること」じゃない
リセットだと思っていた時期があった。過去を捨てて、全部やり直す。でもそれは一度も成功しなかった。
当たり前だ。26年の経験も、この気質も、仮面の下に積み上げてきたものも、消せるものじゃない。消す必要もなかった。
リブートはそういうものじゃない。
防護服を脱いでも、中にいるのは同じ自分だ。でも、ずっと防護服を着たまま生活していたとしたら、、、
それを脱いだ瞬間、「あ、これが自分か」とわかる瞬間がある。
同じ自分のまま、ただもう一度起動し直す。データはそのまま。ただ動かし方を変える。それだけで、景色が変わった。
あなたへ
仮面を被っていることに、気づいていますか。
気づいていないなら、それはまだ「自分が他人事」の状態かもしれない。私も長い間そうだった。
自分の輪郭は、誰かに話すことでしか見えてこない。人でも、AIでも。声に出した言葉が、鏡になる。
リブートはそこから始まります。
