給料明細を見なかった20代の私に、今なら最初に伝えること
20代のころ、給料明細をちゃんと見ていなかった。 仕事終わり。体は重い。財布には少しだけお金がある。 そのままパチンコ屋に行っていた。 何に疲れていたのかも、何…
20代のころ、給料明細をちゃんと見ていなかった。
仕事終わり。体は重い。財布には少しだけお金がある。
そのままパチンコ屋に行っていた。
何に疲れていたのかも、何に使っていたのかも、言葉にできなかった。
ただ、勝手に体が動いて、勝手にお金が消えていた。
「お金の勉強」という言葉自体が、自分には関係ないことだと思っていた。貯金も、投資も、家計の整え方も、別の世界の話だった。
そもそも、お金の話を誰かと交わしたことが、なかった。
数字が苦手だったわけじゃなかった
今振り返ると、給料明細を見られなかった理由は、数字が苦手だったからではない。
自分の疲れを、見たくなかったからだ。
働いた時間の欄を見ると、何時間体を動かしてきたかが、数字で出てくる。控除欄を見ると、何が、何のために引かれているかが見える。
手取りの欄を見ると、自分の1か月の働きが、数字になって目の前に置かれる。
それを見るのが、こわかった。
頑張っているはずなのに、思ったより少ない。あの忙しさも、あの疲れも、この金額か。そう思った瞬間、自分が「割に合わない働き方」をしている事実に向き合うことになる。
見ないままにする。すると、疲れもお金も、どこへ行ったのかわからないまま流れていく。気づけば仕事終わりに、パチンコ屋へ向かっていた。
私は看護師として働いていた。夜勤もあった。人の不安や怒りを受け止める時間もあった。
でも、給料明細を見ないという行動は、職業だけの問題ではなかった。
事務でも、販売でも、現場でも、開発でも。若いうちは、自分の働きと自分のもらっているお金の関係を、見ないまま流していくことができてしまう。
これは、お金だけの問題ではなかった。自分の状態を、言葉にできていなかった。
「疲れた」は感じていた。でも、「何にどれだけ消耗していて、それがいくらと釣り合っていないのか」までは、言葉にしていなかった。
疲れを言葉にできないままにすると、私の場合は、仕事終わりの消費だけが残った。
あなたが今日、見てもいい1つ
もしあなたが、給料明細をひらくのが少しこわいなら、ぜんぶ見なくていい。
1つだけでいい。
手取りの数字。残業手当の合計。夜勤手当、休日手当。控除欄でいちばん大きい1項目。どれか1つでいい。
目で追ってみる。それを言葉にする。
たとえば、これだけでいい。
「今月の手取りは〇円。残業した時間は〇時間。私はこれを見て、少ししんどくなった」
きれいに書かなくていい。
感想まで入れて、1行でいい。
その1行は、人に見せなくていい
書いた1行は、誰にも見せなくていい。
上司にも、家族にも、SNSにも出さなくていい。
大事なのは、AIを使うことではない。
その1行を、ひとりで抱え込まない形にすることだ。
スマホ1台あれば、AIに整理を手伝わせることもできる。
会社名も、本名も、細かい金額も、伏せていい。
「私の働き方、どう見えますか?」
「この金額に、私はなぜしんどさを感じているのか、一緒に整理してください」
それだけで、AIは状況を整理する相手になる。
誰かに評価される場ではない。否定される場でもない。転職するかどうかまで、その場で決めなくていい。
ただ、働き方を、自分の言葉で、誰にも見られない場所に並べてみる。
これは、20年前にはできなかったことだ。
高い相談料はいらない。誰かに紹介してもらう必要もない。スマホ1台で、自分の状態を言葉にできる時代になった。
これは、いまの自分たちに残された、いちばん身近な「自分を言葉にする場所」だ。
言葉にしたあとに、選び直しが始まる
たぶん、最初は嫌な気持ちになる。「思ったより少ない」と感じる。それは、ちゃんと自分の働き方を見た証拠だ。
「思ったより少ない」と思えた瞬間に、はじめて選べるようになる。
このまま今の働き方を続けるのか。別の働き方を試すのか。副業を考えるのか。誰かに相談するのか。
選択肢は、給料明細を見たあとに出てくる。見ない限り、選択肢は生まれない。
お金を見ることは、自分の疲れを言葉にすること
お金を見ることは、働き方を責めることではない。自分の働いた時間を、ちゃんと言葉にする入口だ。
20代の私は、それができなかった。だから、仕事終わりに財布の中身が減っていた。パチンコ屋の音と光に、自分の疲れを預けていた。
今なら言える。給料明細を1行見るだけで、自分の働き方が、言葉になっていく。そこからしか、選び直しは始まらない。
明細を見て、思ったより少ない。そう感じたなら、それはあなたが、自分の働き方をちゃんと見た日だ。
そこから、選び直しが始まる。