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自分VS自分。頭の中の会議室が、うるさい

2026年4月5日

車のキーを回す。シートベルトを締める。バックミラーを確認する。 その3秒が終わった瞬間、頭の中で何かが動き出す。 さっきの対応、本当に合ってたか。患者さんの家族…

車のキーを回す。シートベルトを締める。バックミラーを確認する。

その3秒が終わった瞬間、頭の中で何かが動き出す。

さっきの対応、本当に合ってたか。患者さんの家族への声かけ、あのタイミングでよかったのか。

後輩がつらそうな顔をしていた。もう一言かけられたんじゃないか。

誰にも頼まれていない。チャイムも鳴っていない。でも始まる。

26年間、毎回。

全員が自分の会議室

車の中にいるのは私ひとりだ。でも、頭の中には何人もいる。

議長も、批評家も、弁護士も、被告も、、

全員「自分」だ。

表に出ている自分は「冷静に動ける先輩」として機能している。

急変の場面で手を動かしながら頭も動かす。後輩が不安そうなときは隣に立つ。家族が泣いていれば、言葉を選んで声をかける。そうやって26年、現場に立ってきた。

でも、車のドアが閉まった瞬間から内側のスイッチが入る。

「あの判断は正しかったのか」「あの一言は必要だったか」「もっとうまくやれたはずだ」。今日の自分を、別の自分がすでに採点している。

その会議に、終電はない。

採点基準が、ずれていた

あるとき、後輩から言われた。

「ひかるさんって、なんでも当たり前にやれるじゃないですか。あれって才能ですよね」

聞いた瞬間、頭の中でこう思っていた。

全然そんなことない。今日だって、失敗ばかりだった。

それからしばらくして、気がついた。

私の採点基準は「うまくできたか」じゃなくて、「もっとうまくできたか」だった。

100点を出すたびに、採点者の自分が101点の可能性を持ち出してくる。だから永遠に「足りない」になる。

後輩が 「すごい」 と言う仕事を、私は 「まだまだだ」 と処理していた。

外から見える自分と、内側から採点している自分が、まるで別人だった。

この非対称が積み重なると、何が起きるか。

自分の感覚への信頼が、じわじわと消えていく。

変な話だと思う。患者さんのわずかな変化は絶対に見逃さないのに、自分の内側の変化には最後まで気づかない。

他人へのアセスメントは26年かけて磨いてきた。でも自分へのアセスメントは、ずっと後回しにしてきた。

「自分に厳しい」は、美徳じゃなかった

看護師の世界では「自分に厳しく」が暗黙の美徳とされている。

ミスが命に関わる現場だから、それは合理的な文化だ。私もずっとそれを疑わなかった。自分に厳しいのは、プロとして正しいことだと思っていた。

でも、あるとき気がついた。

私が自分に向けていたのは 「ミスを防ぐための緊張感」 じゃなくて、 「自分を痛めつける習慣」 だったと。

ミスをしていないのに反省する。うまくいったのに「たまたまだ」と打ち消す。褒められても「そんなことない」と否定する。失敗していないのに「もっとできたはず」と削り続ける。

これは厳しさじゃない。自分への攻撃だった。

体の不調を「ただの疲れ」と処理してしまうのと、同じ構造だと気づいたとき、少し背筋が冷えた。自分のSOSに、自分が一番気づかない。頭の中の採点も、それと同じだった。

(👇 体のSOSを無視し続けた話はこちら)

他人には「大丈夫」と言える。自分には言えない。

看護師として不思議だと思うことがある。

他人の感情は無条件に引き受けるのに、自分の感情には厳しい。他人には「大丈夫だよ」と言えるのに、自分には「まだ足りない」と言い続ける。

この非対称に気づいたとき、少し笑ってしまった。

患者さんに対しては 「自分を責めないでくださいね」 と言う。

家族に対しては 「誰のせいでもありません」 と言う。でも自分に対してだけは、ずっと責め続けている。

26年間やってきた「寄り添い」を、自分にだけは使っていなかった。

「誰にも言えなかった感情を、ようやく言語化できた」という記事に、スキが139個ついた。コメントもたくさん届いた。

「私もそうだった」 「ずっと言えなかった」 「読んで泣いた」

うれしかったのは、スキの数字じゃない。みんな、同じ会議室を持っていたからだった。

(👇 その記事はこちら)

「自分VS自分」の終わらせ方

頭の中の会議を止める方法は、意外とシンプルだった。

批評家を黙らせるんじゃない。

批評家に「ありがとう、でももう大丈夫」と言う。

あの声は、自分を守るために生まれた。ミスをしないように。傷つかないように。周囲の期待を裏切らないように。現場で生き残るために体が覚えた、防衛の仕組みだった。

だから「うるさい」と怒鳴っても消えない。「もう考えるな」と命じても無駄だ。

声を敵にするんじゃなく、「そこにいてくれてありがとう。でも、今日は大丈夫だった」と伝える。

それだけで、帰り道の反省会が少し短くなった。

全部なくならなくていい。ただ、少し短く。それで十分だと気づいたとき、ハンドルを握る手が少しだけ軽くなった気がした。

帰りの道は変わっていない。渋滞も、信号も、同じ景色だ。でも車の中が、少しだけ静かになった。それで、十分だった。

消耗しない働き方と、自分との付き合い方について。看護師26年の視点からブログでも書いています。

ナースXのカンファレンス室はこちら

あなたへ

頭の中の会議室、今日も開催されていますか。

もし終電のない反省会が続いているなら、一つだけ試してほしい。

その声に「ありがとう」と言ってみてください。戦わなくていい。否定しなくていい。「なかったこと」にしなくていい。ただ「もう大丈夫だよ」と、一言。

誰かのために26年、その一言を選んできた人なら、きっと言える。

今夜だけ、自分に向けてみてください。

あなたが「大丈夫だよ」と伝えてきた患者さんや後輩が、どれだけ救われてきたか。あなたは誰よりも知っているはずだ。

自分VS自分の試合に、勝ち負けはない。引き分けで、いい。

初めての方はこちらです。よろしくお願いします。